ベイビーなしカステラ
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中の綿がくたびれてきたのか、ちょっと硬くなってきたソファ。
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まだ、LEDに変わっていない細長い蛍光管。
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ホワイトボードには月間スケジュールと新作CDの売り上げ目標枚数、その隣には目標達成!の文字。
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汚れないようにと布がかけられた長机の上には、オレンジと紫で彩られた花束。
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他にもプレゼントが置かれていて、宛名には「ベイビーカステラ様」の文字。
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「……ここは、っ」
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私が叔父さん達の家の次に好きな場所……ある意味で、私の始まりの場所。
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ここは、私達ベイビーカステラが所属している事務所の、とある一室。
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壁に掛けられたシンプルな時計を見ると、時間はお昼を過ぎたくらいだった。
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「本当に、お願い事……叶うのかな……?」
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私の願い事。
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私が突然神隠しに遭ってから、一番会いたかった人。
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ベイビーカステラのベイビー。
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みんなのやさしいおかあさん。
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相棒とも呼べる存在、草下アスカちゃん。
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ガチャリ、とドアノブの鍵が開く音がして緊張が走る。
「あら、ウタコちゃん……今日は早かったのね」
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「アスカちゃん!!!」
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開いたドアから出てきた顔は、私が覚えていた通りの表情で……!
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嬉しさのあまり駆け寄って抱き着くと、驚きながらも受け止めてくれた。
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「きゃっ!……どうしたの、ウタコちゃん?」
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「アスカちゃん!久しぶり……だね、……本当に……本当に、会いたかったの!」
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「……よくわからないけれど、ソファに移動しましょうよ、このままだと、ウタコちゃんの足も疲れちゃうでしょう?」
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「うん!」
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私が座ると、アスカちゃんは冷蔵庫から二人分のお茶を出して隣に座る。
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ソファの前にある机にお茶を置きながら、アスカちゃんはにこり、と笑って私がしゃべりだすのを待ってくれる。
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……そういえば、何から話せばいいんだろう?
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今まであった色々な事……話しても、信じてもらえるのかなぁ。
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私だって、体験したのにそれは幻だよ、って言われたらそうかもなぁ……って思っちゃうのに。
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アスカちゃんは、私が困った顔で黙っているのを見ても、変な顔一つしないでくれた。
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「ウタコちゃん……落ち着いてからでもいいのよ?ちゃんと待つからね」
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「……なにから話せばいいのかな……いろんな事が有ったんだけど……」
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「あら、そうなの?素敵ね……そうだ、ウタコちゃんさえ良ければ、最初から聞かせてもらってもいいかしら?」
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「うん!まず最初にね……」
神様に違う世界に連れていかれちゃった事、そこには色んな妖怪とかが居た事、そこでなんとかアイドルとして暮らしていた事。
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時々驚いたり、相槌を打ったりしながら、真剣に聞いてくれているアスカちゃん……。
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「本当に色々あったのねぇ……ひとりで、大変だったでしょう?」
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「そうなの!アスカちゃんが居なかったから、不安で、寂しくて、心細くて……」
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「あら、そんなに頼りにしてくれていたの?嬉しいけど照れちゃうわ」
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「えへへ……」
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お互いに照れ笑いして、そのあとお茶を一口。
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うん、事務所にいつも置いてあるお茶の味だ。
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お茶を飲んだのもあってか一息つくと、アスカちゃんがぱん、と手を叩く。
「そうだ!カステラでも出しましょうか?多分ウタコちゃんへのプレゼントにあるわ」
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「私が探すよ!えーっと、未開封のやつ未開封のやつと……っ!」
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視界に入る「ベイビーカステラ様へ 大石弥彦」の文字に固まる。
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……私、は。
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私は、ここに居ていいんだっけ?
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「どうしたのウタコちゃん?止まっちゃったけれど……」
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……あれ、今こうやって二人で楽しくしているのが夢なんだっけ?
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私とアスカちゃんが、離れ離れになっちゃった方が夢だったんだっけ……?