C410話

Last-modified: Fri, 24 Jun 2022 22:25:21 JST (694d)
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今日は珍しく廊下で行き倒れ……寝落ちはかましてねえみたいだ。

……と、いう事は。

あのプレゼントと言う名の貢ぎ物にあふれ返り、もはや魔窟と化した姉貴の自室で寝ている筈だ。

 

「ふー……よし!」

 

一度肺の空気を入れ替え、気合いを入れてからドアを開けると、ガラガラと音を立てて何か奥の方で崩れる音がする。

どんな積み方しやがったんだよ!

見かねて俺が片付けたの、たった4日前だぞ?

 

「やべ……今ので姉貴、埋まってたりしてねえよな……うおっ!?」

 

姉貴が心配で覗き込んだところで、顔面に何かが当たりそうになり咄嗟に手で払い除ける。

床に転がったのは、アクリルでできた香水瓶だった。

アクリルで良かった……ガラスだったら色々と面倒な事になっていたはずだ。

 

「おい姉貴ー、試飲頼むわ!あと緋紗子さん来てるぞー」

「……ぁー……?ユウヒ……?試飲とか面倒だからさ、頼むよ……」

 

良かった、生きてた……じゃねえ。

 

「俺以外がこの部屋開けたら、イメージ崩壊どころじゃ無えだろ!」

「あー……ま、そっか……」

「試飲があるんだから早く来いよな」

「ぅー……ちょっと待ってて……せめて、1時間位は……」

「緋紗子さん待たせてんだから早めにな」

「……オッケー、すぐに行くよ」

 

声色でしっかり目が覚めたのを確認し、緋紗子さんの所へ戻る。

言葉通り、すぐに準備を終えて姉貴もやって来た。

俺だけが相手の時もさっさと来て欲しいもんだがな!


緋紗子さんの待っているカウンターに、小さなグラスをいくつか用意する。

 

「やぁハニー❤今日もお仕事だとはいえ、重い荷物を運ばせて申し訳ないね」

「だいじょぶだいじょぶ!これがあたしの仕事だし!」

「それに、ユウヒが何か粗相でもしてたりしたらと思うと……」

 

いや、そんなに俺の事を気にする素振りを見せるなら最初から出てこいよ。

 

「そうそう!ユーヒちゃんがあたしの事まだヒサコって呼んでくるんだけど!」

「ユウヒ、まだハニーのいう事が聞けないのかい?」

「あーはいはい、ハニーハニー」

 

二人の会話を適当にあしらい、瓶に嵌められた金属製の蓋を回し開ける。

シロップのテクスチャを確かめながらグラスに注ぐと、香りはエルダーフラワーに加えて、レモングラスの様な爽快感があった。

 

「うん、流石ハニーの取引先!とても良い香りだね❤」

「香り的にはソーダ割やハイボールに合わせると良さそうだな」

「ジンの風味を増したりも出来るし、ケーキのスポンジに含ませて……」

「ちょちょ、ちょっと!ふたりともストップストップ!一度飲んで判断してほしいんだけど!」

「それもそうだねハニー……ゴメンね?」

「あー、なら幾つか割り材持ってくるわ」

 

姉貴がグラスにシロップを注いでいる間に、冷蔵庫から適当に割り材として良さそうなラインを見繕いカウンターに並べていく。

原液以外に、水やソーダ、ミルクなどで割った風味や見た目も判断しておきたい。

いざ牛乳で割った時に乳化した、とかは困るしな。

すぐに姉貴が俺の意図を理解し、3杯ずつ作成していく。

俺と姉貴、そして緋紗子さんの分で1杯だ。

 

「ま、ちょっと特別なルートから仕入れた商品だから取り扱ってくれると嬉しいのよね」

「へえ?教えてもらえるなら試飲とは別で1杯奢りますよ」

 

ニヤリと笑って、コップを傾ける仕草を向ける。

ま、教えてもらえりゃそれで最後だ。

次から自店仕入れにして契約切るけどな!

向こうもそれをわかってか、ニヤリと笑ってはぐらかす。

 

「ダメダメ駄目!独自性で勝負しないと、この業界もやっていけないし……それに、ユーヒちゃんじゃコレは仕入れらんないと思うよ?」

「そんな特別なモンに……見えなくはないっすけどね」

「あたし、こう見えて意外とやり手なんだからね」

「へーえ、それはそれはとてつもなくすごいっすね」

「絶ッ対にそう思ってないでしょ!」

 

お互いに苦笑いで返しあっていると、姉貴が作ったグラスが全て並ぶ。

シロップに酸味でもあるのか、ミルクと混ぜた物は早速分離をしている。

ミルク系に使うには濾すか何かしないと飲むには向いていなさそうだな。

 

「さて、まずは原液からいこうかな」

「俺はミルク割りにするわ」

「それならあたしはソーダ割にしよっかな……」

「いや、緋紗子さんは好きに飲んでもらって構わないんで」

「あ!またひーちゃんじゃなくてヒサコって呼んだ!」

「ユウヒ?」

 

2人に睨まれ、慌てて乾杯の音頭を取る。

 

「ささ、乾杯乾杯!」

「乾杯!」

「かんぱーい!」

 

一口含むと口の中に爽やかな香りが広がり、うっすらと酸味混じりの甘味が走る。

なるほど……この酸味が、ミルクを分離させてたとみていいな。

香りはミルクに負けていないので、量を調整すれば飲むヨーグルトやラッシーのような舌触りで良いかもしれない。

 

「意外と悪くはねえな。姉貴はどうだ?」

「味も強くはないし、この香り高さなら加熱してゼリーやソースの隠し味にしても面白いかもね」

「ゼリーか……色が薄いからパフェ系だと見映えが悪いし、クラッシュしてレモネードソーダに入れたりとかか?」

「そうそう、後はチキンソテーのオレンジソースに垂らしても良いと思うよ」

 

あー……想像したら腹減ってきたな。

そういやまだ飯食ってねえや。

 

「ハニーのソーダ割りはどう?美味しいといいのだけれど」

「ソーダ割り?うん、普通に美味しーよ」

 

結構万能っぽいな、よし、買うか!……まあ、値段にもよるけどな。

 

「で、いくらっすか?」

「え、もう買うの決めたの?いくら何でもさ、もう少し考えた方がいーんじゃないの?」

 

姉貴の方に視線を向けると、姉貴と目が合う。

 

「姉貴、いいよな?」

「買わない選択肢はないかな」

 

姉貴はどうせハニーからの営業だから、とか言って買う気しかねえし、実際に使うのはキッチン担当の俺だ。

俺が買うと決めたら、買う選択肢しかない。

 

「ならオッケーね、注文書が……そうそう、ココに金額が書いてあるから」

 

よし、単価も悪くない。

注文数量の記入欄に1ケース分書き込み、他のいつもの注文も続けて書いていく。

 

「……よし、じゃあこれでお願いします」

 

注文書を渡すと、緋紗子さんと姉貴が項目を指差ししつつ確認していく。

 

「……あ、このグレナデンシロップは1本追加で」

「まだ在庫あるからいらねえよ」

「今日テーブル予約してるハニー達、前回提供したリンゴのコンポートが好きだったみたいだからデザートに使って欲しくて」

「そうだったか……?まあ、姉貴が言うなら間違いねえな。1本追加でお願いします」

「もっちろん!」

 

使っていたペンを渡し、緋紗子さんが数量を修正する。

本当は俺がやった方がいいんだろうが、修正は自分でやりたい派らしいので任せている。

何かこだわりの書き方でもあるんだろう。

 

「それじゃ、ひーちゃんが責任持ってお届けするよん!」

「よろしくね、ハニー」

「よろしくお願いします」

「こちらこそご贔屓にねー!」

 

来店してきた時同様に、やや乱暴にドアを開きベルを大きく揺らしながら去っていく緋紗子さん。

……もう少し、ドアを丁寧に扱って欲しい。

 

「じゃ、後はよろしく……」

 

テーブルに突っ伏して眠る姉貴を無視して、テイスティングに使ったコップを片付ける事にした。