C43話 のバックアップ(No.1)


そろそろ起こそうかと姉貴の部屋に向かうと、廊下でうつ伏せに倒れている姉貴。
気絶とかでもなんでもなく、実際は単に寝ているだけだ。
乱暴に揺すりながら声をかける。
「ほら、起きろよ姉貴、そろそろ開店に間に合わねぇぞ」
「んー……もうそんな時間……?」
顔を床に向けたまま返事を返すなよ、せめてこっち見ろ。
「仕方ない……待ってくれているハニー達の為だ、起きるかっ……!」
声とは裏腹に、ゆっくりと立ち上がると横に揺れながら洗面所へ向かっていった。
こんな状態だが、15分もしたら客前へ出るレベルになってんだろ。
時計を見やり、開店時間まで後何分かを確認する。
「よし、そろそろ看板の準備すっか……」
バータイムのフードで、何を看板に書いていくか考える為に冷蔵庫の中身を思い出す。
俺くらいになると、冷蔵庫の中身をわざわざ確認しなくても覚えている。
決して俺がケチって訳じゃなくて、管理が行き届いているだけだ。多分。
「……よし」
キュポッ、と音を立てながらマーカーの蓋を開け、文字と絵を描いていく。
今夜のオススメはマカロニグラタンだ。
絵なんて、それっぽく見えれば良い。
「……ま、こんなもんだろ」
「あぁ、ちょうど終わったんだね」
「姉貴こそ準備出来てんのかよ?」
「大丈夫だよ、出してくるから」
すっかり客前モードに切り替わった姉貴が、立て看板を店の前に運んでいく。
ガタリ、と立て看板を置いた後、ドアを木のプレートが軽く叩く音。
クローズ表示からオープン表示へと切り替わり、この店がバータイムに入った合図だ。
俺も、ここからは厨房専門ではなく客前に一応立つ。
まぁ、大抵は姉貴目当ての客な上、俺と話してえ奇特な奴も早々居ねえから殆ど昼間と変わりやしないが。
「今夜はハニー達、何人来るだろうね」
「俺としては面倒が無い程度の混み具合だと有り難えけどな」
「面倒だなんて……ハニー達に、失礼だよ?」
「別に俺としては客が……」
そんな他愛も無い会話をしているとドアベルが鳴り、客が顔を出す。
会話を無理矢理切り上げ、姉貴は客へと声を掛ける。
「いらっしゃいませ、カフェバーC4へようこそ。カウンターへどうぞ」
「どうも」
「……?」
どうにも見覚えが有るような帽子を深く被った奇妙な客は、姉貴に言われるままカウンター席へと座った。
水を差し出すと、あっという間に飲み干して空になったグラスを突き出してくる。
グラスを受け取り、ピッチャーから水を注ぎ、客の前に置く……と、またすぐに飲み干して突き出す。
仕方なくまた注いでやるも、また飲み干す。
「おい、ここは……」
水は金をとってねえんだぞ、そろそろ何か頼めよ。
そう言おうとした俺の言葉を遮って姉貴が話しかける。
「随分と喉が渇いているみたいだけど、なにか運動でもしてきたのかな?」
「まぁ、そんなところだね」
「趣味かなにかなのかな?健康的でいいよね」
「どちらかと言えば仕事だけど……ま、その後の楽しみのため、ってとこかな」
「実はここに来るため、とか?……ふふっ、冗談だよ」
「……」
おい姉貴、ちょっと相手が引いてんじゃねえか?
少しは相手を見て……と思った矢先、今までの会話からは想像もつかない声色が返ってきた。
「随分と察しが良い人間も『こちら側』に居たもんだ」
既に目線が見えていない帽子を更に下げ、にやにやとした笑いを姉貴へと向ける客。
あーはいはい、さては姉貴に変な絡み方するタイプの客だな?
ヤベエ感じになっても困るし、一応気にはかけておくか。
「あぁ、そうそう。ベーコンを焼いてくれない?厚めでね」
「あいよ」
フライパンを火にかけ、軽く油を敷いて温める。
その間に冷蔵庫から塊のベーコンを取り出し、10mm程にナイフの刃を当て、客に確認する。
「こんなもんでいいのか」
「うーん、もう少し厚く……そう、そのくらいで」
この厚みなら、早めに焼き始めた方が良いだろう。
言われた厚みでカットした直後にフライパンへ置くと、程よく熱された油が跳ねる音と、燻された肉の焼ける独特のにおいが店内に立ち込める。
「随分と厚めに切ったようだけど……ステーキみたいに食べるのかな?ハニーマスタードとか塗って」
「ハニーマスタードもアリだけど、私的にはやっぱりコレだね」
そう言って、上着のポケットから取り出されたのはメープルシロップ……待て。
どう見てもポケットのサイズから出てくる大きさのボトルじゃねえぞ!
俺が二度見した後姉貴に目を向けると、姉貴の方も笑顔こそ崩していないものの確実に動揺していた。
「何驚いてんの?手品なんだから種も仕掛けもあるよ」
「そう、手品師だったとはね……急に披露するから、少し、驚いてしまったよ。ごめんね?」
「いいよいいよ、これからもっと驚く事になるし」
どういう意味だ?考えながらベーコンをひっくり返して付け合わせのブロッコリーをフライパンへ投入する。
無言の中、油の爆ぜる音だけが店内に響いて気が付く。他の客が来ない。
いつもなら、そろそろ満席近くなってもおかしくねえはずだ。
そんな疑念を吹き飛ばすように客から催促が入る。
「ねぇ、まだ?」
「あ?まだ焦げがついてねえけど……」
「いーよいーよ、もう食べたいから。はやくして」
客が言うなら仕方ない。ベーコンをトングで持ち上げて油を切り、開店前からオーブンで温めていたプレートに乗せる。
付け合わせも同様に乗せた後、ナイフとフォークをカトラリーケースに入れてカウンターに置くと姉貴がカウンターから客の目の前へ差し出した。
「さぁ、召し上がれ」
「いただきます」
ぱん、と気持ちの良い音を立てて手を合わせると、先程取り出していたメープルシロップをたっぷりとかけ始めた。
「いやぁ、これが案外美味いんだよ」
「そうなんだ、今度試してみようかな」
「是非やった方が良いね、というかもう今日メニューに加えちゃえよ」
絶対姉貴は真似しねえし俺は正規メニューになんか入れねえからな。
フォークとナイフで乱暴に切り分け、滴る油とシロップを舌で迎えながら食べる客。
……そこに行儀の良さなんて全く無いのに、少しだけ旨そうだと思った。
「はー食った食った。ご馳走様、いい肉だったよ」
「お気に召してもらえたのなら、それは良かった」
「お代は……確か、この紙幣で足りるんだよね」
そう言って姉貴に手渡される一万円札。足りるどころか、釣りの方が遥かに多い金額だ。
「もういいの?もう少し、語らっていけばいいのに」
「大丈夫、これだけの時間居れば私には十分だよ……あぁ、釣りは次回支払い分にプールしといてもらえない?」
「近いうちに来店してくれる、って事かな?気持ちは嬉しいんだけど、お金の事はきちんとした方がいいと思うよ」
「……いいよ、じゃあね」
「え、いやお客さん、お釣り……っ!」
客は提案を断りながら、さっさと扉を開けていく。
閉じかけた扉を、姉貴が釣銭を持って追いかけていき……すぐに戻ってきた。
先程まで使っていた食器を片付けながら質問をぶつける。
「あれ?姉貴どうしたんだよ?変な顔になってんぞ」
「すぐに追いかけたつもりだったんだけれど……」
「見失ったのか?そんな時間経ってなかっただろ」
「そうなんだけれど……」
首をかしげながら、意図的に置いていった現金を、封筒に入れた後にペンで金額を記して保管箱に入れる姉貴。
そんな訳ないだろ……とは思ったが、姉貴に限ってさっきまで店内に居た客を見失うような真似をするとは思えなかった。
お互いに疑念が残る中、扉が開く音がしてそちらに顔を向ける。
「いらっしゃいませ、カフェバーC4へようこそ」